今晩は。
ちょっと間が空きました。
忙しいのと老化でしょうか、ブログを書く体力がなくなって来ました。
この前の土曜日は風が強い1日でした。
しかしジッとはしていられない性分でしてこの日は酒田の豪商、本間家本邸をチラッと見学。しかし中には入場料が高いので入りませんでした。
門構えと松が立派でした。
さて、何をするかな?と考えた末、ここに来る時に見かけたラーメン屋に行って早目の昼食を取る事にしました。
酒田市役所に車を停めて、酒田市役所付近の「酒田ラーメン照月」さんにお邪魔しました。
このお店は朝7時からやってるようです。また食券方式でメニューにはタンメンとラーメンがあるようでした。
今回は私はラーメンを注文。
670円だったと思います。
待つ事5分か6分で来ました。
おお、朝ラーメン🍜をやってる店らしい一品でアッサリ系ですね。
典型的な山形ラーメンです。
ご馳走様でした。
それから何処に行こうか?とGoogleマップを検索し、そういえば「最上川って有名だけどマジマジと見たことないなあ」と思い、最上川沿いを走る国道47号線を走ることにしました。
ご存知の通り、最上川は色々な詩人や旅人によって詩が詠まれています。
暑き日を 海にいれたり 最上川
ずんずんと 夏を流すや 最上川
交通量は決して少ないわけでもなくかと言って多いわけでもありませんでしたが、山間のこの道を行くと山々が黄色や赤に染まりつつありました。
五月雨を集めてはやし 最上川
そこで庄内町清川という町に「松尾芭蕉上陸の地」を発見し、へぇーなんて思いましたね。
ところで最上川はその昔、通行料を払わない船が結構あったそうで、庄内藩により監視台が設置されたそうですね。
再現されたものがこれです。
中に入るとカメムシばかりでしたがw
しかし最上川沿にあるこの町も、日本中あちこちに存在する過疎ってる町と同じでした。
小学校は廃校になってるようでして、町の中にはパーマ屋が一軒、食料品を売ってる様な小さな商店が一軒だけの様な気がしました。また家々は雨戸やシャッターが閉まっている住宅が多く、寂しい町だなあという感じしかしませんでしたね。
この町にも単線のJR線の無人駅がある様ですが、現在は廃線にはなっていないようですが代替えバス🚌の運行となっているようです。
しかし線路には草が伸びていて、これ復活するのかなあ、このまま廃線化じゃないのかな?などと思ってしまいました。
唯一、歴史でお客、人を呼び込もうと細々と町の営みを維持しようとされてるみたいでした。
しかし日本全国旅をして思うのは、本当に日本全国何処にでも天皇陛下が訪れた事を記す碑があります。
やはり日本は天皇を中心とする国なのだなあ、と改めて思う次第です。
最上川沿には他にも道の駅がいくつかあったり、渡り船などにも乗れる場所があったりします。
そのいくつかの道の駅の1つにキムチなどを販売している店がある道の駅があり、この地はかつて朝鮮半島と交流があったのでしょうかと思ったり。
日本風ではない建物を背に国道47号、その向こうに最上川を見ると、
川は静かにゆっくりと流れ穏やかな感じでした。
それから私は川の流れに流される様に「風車村」という場所に行ってみました。
最初、「風車村」とは、村の名前かと思いましたら到着すると違っていて公園の名前でした。公園内には展望台や大きめな公民館の様な建物があり、その建物の中には風車による発電の説明や写真などが建物内にありました。
芝生の広場があるせいか子供連れで来ている人々ばかりでしたね。
東北の日本海側は確かに風が強い日が多々ある印象で、風力発電の風車を東北地方の日本海側でよく見かけるのも頷けます。
さてぼんやりと川に流されるまま過ぎた1日でしたが、
風の強い日に風に包まれ、
しかし川の流れは緩やかで穏やかでも、
現在、世界は激動の時代に突入していると思います。日本にいると不景気や物価高の事などまだぼんやりと平和な印象を持つ人も多いかと思いますが、私は焦っているわけではないですが日本国の存続に危機感を抱いています。
戦争や食糧難、疫病騒ぎなど世界がきな臭く、日本でも「毛見の衆の 舟さし下せ 最上川」と言いたくなる様な増税の気配、或いは物価高と上がらない給料によるスタグフレーション、少子化問題、エネルギー問題、統一教会問題、尖閣沖縄問題など混乱の時にあると思います。
しかし与党である自民党政権には統治能力はなく、むしろ国民の敵であるとさえ私には見えます。一方野党も平和ボケしている様な印象で、彼らもまた現実を直視出来ないように見え、まともで具体的な経済的提案や国防的主張も出来ない為に彼らをアテにする事も出来ません。
恐らく今以上に経済を始めとする社会情勢が悪くなるという予感はしているのですが、私はもう色々と経験させてもらいましたので、あまり個人的な未来を想像したりはしていません。
個人的には今出来ることをして、今を楽しむことや新たな小さな楽しみを見つける事くらいでしょうか。
一日本国民としては、今はもうただ漠然とこの危機を乗り越えて日本国が永遠に続いて欲しいと願うばかりです。
日本精神という形の無いものなら壊れはしないでしょうが、もやはそれしか一部の日本人に残らないかもしれませんね。