かつて田原成貴という天才騎手がいました。
私が思うに天才とは動物的直感に優れている人だと思います。経験の積み重ねによるプロと天才はまた違う様に思います。いくら感性の無い人に感覚を言って聞かせようとも、感性による感覚を理解出来ない人には、やはり理解出来ないことがあるのと同じだと思います。
プロレスラーで言うところの佐山聡氏ですね。プロレスラーなら、覆面を被れば誰でもタイガーマスク🐯になれるわけではありません。いくら他のプロレスラーが練習しようと頑張ろうと、佐山聡氏のタイガーマスクにはなれません。
話が逸れましたが、田原騎手は騎手引退後に調教師に転向したのですが、知っての通り事件を起こし競馬会から追放されてしまいました。
しかし私は田原騎手のその生き方が好きでした。
田原騎手もインタビューで答えていますが「周りの目を気にするより、自分はこうありたかった。先輩騎手からすると俺はエイリアンに見えたと思う」との感覚が私には分かります。
私も母親から「あの子は宇宙人だから何を考えてるのか分からない」と弟に言ったのを覚えています。自分の本能、ありのまま、こう生きたいと思って生きると当然全体主義の人々やつまらぬ型にハマった人などから批判を受けることになりますが、そんなものは無視が妥当だと思います。因みに私は天才ではありませんが。
才能ある人は1つの道だけではなくて、他にも才能を発揮するものでして、田原騎手に至っては「ありゃ馬こりゃ馬」という漫画の原作を書いたり、調教師に転身してからも黒いユニフォームを同一厩舎内のスタッフに着せてみたりと、何かとセンスが良くてカッコいい人でした。
騎手時代も競輪やパチンコ、酒など遊んだ人だと記憶しています。やはりある程度遊んだ人でないと魅力ある人にはなれないと思います。
「昔の名前で出ていますみたいなのが好きではなかった」とインタビューに答えていますが、田原成貴の生き方が遊んで筋を通しカッコよく男なんですよね。勿論、筋を通せない失敗も人間ですから誰しもありますがそれはそれで。それよりも残してくれたものの方が大きい人ですよね。
だから田原さんはもう昔の名前で出てもいいと思います。何も一度失敗したからって卑屈になる必要などありません。
田原騎手といえば武豊騎手の騎乗スタイルとは異なりまして、数々の伝説のレースを残しています。1996年の阪神大賞典もその内の1つです。因みに武豊騎手の天才レースといえばキズナでのダービーですが。
ナリタブライアンとマヤノトップガン2頭の後続を突き離したマッチレースには胸が熱くなりましたね。
93年の有馬記念のトウカイテイオーもまた有名です。私はこの時馬券を当てました。
私が田原騎手の騎乗で最も唸ったレースは桜花賞でのファイトガリバーの騎乗です。中団の内でジッとしていながら脚を貯めて直線に向くと進路を見つけて差し切った騎乗。
上手い騎手とかって不思議と進路が開けるのですよね。
そういうわけで、現在に田原成貴に最も近い騎乗をするイメージと言えば、横山典弘騎手だと思います。
年齢は当時の田原成貴騎手とはだいぶ違いますが、個性ある騎乗ということで今週末の有馬記念は、上位人気4頭と横山騎手のシャドウディーヴァにしようと思いました。
しかし思えば、何か個性あるカッコいい人がまるでいなくなりましたね。
大谷選手は確かに凄いとは思うのですが、海の向こうのお話であってネット社会化した現代社会の中では、国民の多数がテレビを見て熱狂するなんてことはあまりありません。
私は元来巨人ファンでありまして、毎日野球中継を見てましたて、中継が途中で終わるとラジオで試合終了まで聞いていたほどです。
しかし今では巨人の選手もよく知らないですし、大谷選手の活躍を聞いても「あ、そうなんですか」くらいです。それほど個人主義化したということの現れなのでしょうか。
(何故だか徳島で大谷選手のユニフォームが展示されているのを見つけました)