曇り空の下、
車を走らせました。
東北に来てから東日本大震災のことがずっと頭にありました。私は東北には親戚や知り合いはいませんから東北は知らない土地です。(今現在は数名の東北の知り合いはいますが)実際、小さな地震が度々ありますからその度に大震災のことを思い出していました。
私は地震に限らず、この歳になると何かが怖いなどとは思わないので、災害に備えるという気持ちもないのですが、政治政策の進み具合、マスメディアの報道、情報を検証するという意味でも。
そういうわけで、海を見てみたい、町はどうなっているのだろう?復興したのだろうか?と実際自分の目で確かめたかった気持ちがありました。マスメディアの報道が震災後3年も経つとなくなりましたので。
国道397号線の山間を行くと道の駅があり、寄ってみましたが近所の高齢者の買い物場になっているようでした。
駐車場には虫の声だけが響き渡ります。
道の駅を出て、さらに海方面に向かいます。
先ずは大船渡の町に向かうことにして、駅が目についたので寄ってみることにしました。大船渡に着く頃には天気が晴れに変わったようで少し汗ばむ感じです。
三陸鉄道は2020年の3月か4月に開通したそうで、駅舎やロータリー、その周辺も綺麗に整備されていましたが、この近くの海側は未だに工事が行われていました。
そうこうしている内に、陸前高田市に入ったようでここから海沿いの町に降りてみましたところ、高い防潮堤が続いていて何とも言えない気持ちに。
プレハブ小屋のコンビニを見つけて、何も買わずに駐車場を借りるのは悪いと思い、アイスを買って車から降り、防潮堤の向こう側を歩いて見てみることにしました。
そこには穏やかな海と波、空にはトンビが飛んでいて平和そのもので、新しい防潮堤だけが何処か不自然な感じはしました。仕方のないことですが。
小さな子供達、恐らく小学校低学年でしょうが子供達だけで集団で帰宅しておりましたが、子供達の声だけは元気そうでして。
自転車を押した🚲白い服を着て、帽子を被った女性が防潮堤の脇で何かを1人食べ、食べ終わるとトボトボとまた自転車を押して自宅でしょうか、歩いておりました。
帰ろうか、と、車を陸前高田市内の違う道に走らせていたら、道路脇に「ここから津波が来た土地です」みたいな看板を見かけ、綺麗な直線道路に出ました。
津波が何処かテレビで見た様な建物を見かけました。窓が...
この少し先にたまたま「東日本大震災津波伝承館」なるものを見つけ、ああ、ここかあ、と改めて思い、寄ってみることにしました。
中学生がバスガイドさんに連れられて見学に来ていました。
ここを登ると海です。
海は穏やかでした。
花を手向ける💐人、メディアらしき人、中学生とは異なる観光バスでやって来た人達、色々な人々が来ていましたが、笑い声が伴っていて震災もこの土地も観光地に変わったのか?と人の不幸をネタに商売したり野次馬根性でいたくはないと思いましたが、ここへ来た人々も決してそんなつもりは無いのだろうと私も分かっています。
分かってはいますが、私自身は笑顔は違うかなと思いましたね。
私は海をただ見つめることしか出来ず、後ろでバスガイドさんが中学生に「奇跡の一本松」の話をしておりましたが、私はその松を見つけることは出来ませんでした。そういう商魂の様な美談はあまり好きではないので。
伝承館は無料で見学出来て、壊れた消防車🚒や壊れた鉄道の信号機、曲がった道路標識などが展示されていた反面、反対側には土産売り場みたいなのがあって、「奇跡の一本松お菓子」なるものが売られていて、これは違うかなあと。でも復興にはお金が必要でこうするしかないと言えばないのかもしれません。
また、伝承館の直ぐ傍には津波で壊れた建物が残されており、1人近くに行って見学してみました。
今度は、
鳥の囀り、風の音、遠くで波の音しか聞こえませんでした。自分の心の声は何か?というとここで洗いざらい言う事でもないかなと。
この辺りの周辺は未だシャベルカーが稼働していて、ダンプカーが行き来しており造成中でした。
あれから11年ですかね、お店はポツポツ出来ていましたが、まだ町らしい町にはなっていませんでしたし、地元の方を取材した人達の会話が聞こえて来て「もう、待てんと言ってるんだよね」と。
恐らくいつまでも何も決めずにいることに耐えられない住民の方々がおられるのでしょう...。
政治は動かず、その原因について「緊縮財政が」「財務省が」「公共事業が」とそこに原因を求める方々もいらっしゃいますが、そういうことばかりではないのです。
勿論、お金の件もありますが、故郷が、生活が、日常が、かけがえのないものが、そういう気持ちはそういう政治、政策のテクニック論とかではなくてまた別のものだと私は思います。
地元の老人が座り込み、黙って辺りを見渡していた。
東北の人々は多くを語りません。何についても。その事について東北の方から実際そうだと最近聞きましたが、その方は「でもそれは間違いなんだよね」とも言っていました。
何でもかんでも自分が背負い込み、黙ってる必要なんてないだろうと私も思います。ただ東北の人に限らず、九州生まれの自分も親から「男のクセにベラベラ喋るな」と言われて育ちましたから、昭和生まれはその様な感じでしょう。
そんなこんなでとりとめの無い話になってしまいましたが。
「奇跡の一松駅」かあ...
帰り道、
色々なことを考えていたら
道を間違えて三陸道を走ってしまいまして。
何処行くねん!と。
欲望のうずまくこの街 かすんでく瞳
みんな今を必死に生きている 守るもののために
Mm… Mm…
時々君は愛なんて 存在しないという
純粋がゆえに傷つく 悲しい現実に
ONE DAY すべてを失ったなら
どんな言葉で どんな愛情で
何をみるのだろう
愛のために 愛の中で 世界はきっと生まれてきた
あらそいのない暮らしの中で
一生を刻めたなら
そんな願いが心を呼びさますよ
路上にころがる痛みが 僕らをみつめる
涙が悲しみの中で こおりつかぬように
どんな形の満足がいい
目に見えるものの意味に何一つ おびえることはない