雨でして☔️☂️寒い1日でした。
あまり遠出や食事を何にするか?の気分が乗らず、本日は吉野家の生姜焼き定食、無料のご飯大盛りにしました。1年前までは大盛りとかは、絶対にしなかったのですが最近お腹空いてですね。
吉野家も滅多に行かなかったのですが、馬鹿にしてはいけません。美味しいです。
さて、
本日もニュースからですが、
コロナ禍より早期退職募集、いわゆるリストラのニュースを度々聞く様になりました。
しかし日本政府による経済政策は打たれていないに等しいと思います。
コロナ禍以前より特に日本政府が国民の為に経済政策を打ったか?というと株主や大企業への優遇措置以外はこれもまた何もしていないに等しかったでしょう。
私は財政出動には反対しないのですが、三橋貴明氏や藤井聡氏らの界隈とかとは、その先の考え方が私とは異なる様に思います。
彼らは既得権益を共同体と言い換えるなりして、自己保身や既得権益、利権を守ろうとしている様に見えます。しかし私は残された既得権益はダメな大企業やテレビ新聞など害がある(一般的な人々とは同じ世界には生きていない)ものしか存在していない様に思います。
私は敗戦やその後の構造改革による現在の構造の現実が元に戻ることは無いと思うので、より幸福な社会、先進国を目指すならば宮台真司氏の考え方が現段階では最良だと思います。
因みに宮台真司氏はかつて朝まで生テレビで、故西部邁氏と討論で渡り合った人ですが、宮台真司氏は「日本はもうダメですよ」との認識です。
その前に先ずは、
民主主義下の社会で合意形成を図るには弱者や敗者に対してただ「弱者や敗者は死ね」では国民間の合意がとれないので、ベーシックインカムや所得保障、セーフティネットを構築した上で雇用の流動性を図るべきです。
日本式資本主義とか日本式経営とかその様な社会には戻れません。一度壊したものを元に戻すには時間がかかります。
日本は残念な国なのです。
ホリエモンと宮台真司氏は違う思想の人です、と言いますか宮台真司氏は社会学者です)
(宮台真司氏はベーシックインカムについては、実装ありつつものでそれが既定路線だが、それは政治は一部の人間がやり、民にはドラックとゲームを与えとけばよいとするのが支配者層の考え方だそうです。しかし宮台真司氏は我々はそこに主体を置くのではなくて、「既得権益が排除された町で小さな共同体を作り真の愛と友情を育んでいこうと」という価値観の持ち主です。その成功例がニセコらしいですね。新しく入った資本が日本資本か中国資本かの違いがあるにせよです。
また宮台真司氏の考え方からコロナ禍に我々がどういうふるまいをすべきか?や、これからのマクロミクロの経済観、国民としての価値観、人として取り戻すべきものが見えて来ると私は思いました。
「法を破って危険なことをするのは、同じ世界に入る知恵があるからである。記憶として年長者はリソースとしてそういう知恵をかなり蓄えている。以前はそういう知恵を各人が持っていたから、法や決まりを破っても誰も通報しなかった。年長者はそれを後世に教えて行くべきかな」
「恋愛とか(生き方)とかは、そういった社会の檻の中のマインドから外に出る行為だが、その様に考えられない男が増えているから男の劣化がヤバい」と発言していますが、コロナでも同じ事が言えます。
「決まりだ、リスクマネジメントだ」とリスクマネジメントやコストパフォーマンスで物事を捉えたがるが、それはそれ、そこから出た世界を共有しないと人はクズになるというのが宮台真司氏の考え方ですね。
「言葉と法と損得に従わないと定住社会の中では生きて行けないが、それは不自然でストレスが溜まるので祭りがあった。祭りがあるとそれが出て行った者を呼び戻し、彼らがメインプレイヤーになるかもしれないし、閉ざされた町や村での無礼講やガス抜きにもなる。閉ざされた社会をまともに機能させるには閉ざされを継続してはいけないから何処かで開かれないといけない」と宮台氏は繋ぐ。
よって、コロナ禍でも同じことが言えるのです。決まりことは勝手に為政者が作るでしょうが、その為政者と我々は同じ世界に生きていると思えますか?宮台氏曰く、同じ世界に生きていると思えない人を我々は信じれないと言います。人によってこのことを「ルサンチマン」として、いけないこととして表現しますが、同じ世界に生きる、ある程度同じ価値観を持ってくれない為政者や強者に対して「ルサンチマンを持つな」のそれは決して通用しません。
我々年長者は為政者が単純に決めたコストパフォーマンスやリスクマネジメントから物事を考え、それを中心に生きては来ませんでした。ですから同じ世界に生きていると思えない為政者、或いは隣人が彼らの価値観で決まりを作っても私は従いませんという選択も可能なわけですし、「外に出る、マスクを外すという危険を侵す知恵とまではいわなくても、手触り肌感覚でその危険は危険ではなくてかつて行った事がある感の知恵」ですね。
「言葉に閉ざされ、法に閉ざされ、損得に閉ざされるのではなくて、人は閉ざされの外に敏感の方がいいに決まっていて、お互いが交流の中で贈与し合うことにより自分のダメさを知り改善することが出来る。が、ゲームやバーチャルだけに閉ざされるとこれは不味い、なぜかというと主体がリアルじゃなければゲームやバーチャルに閉ざされた状態になっている。この状態だと人との交流をしなくなり、お天道様が見ているという感受性が磨かれなくなるから、人はまあまあ真っ当に生きることは不可能になるからだ」
要するに現代社会は飲み会や社員旅行などの無礼講も、企業の福利厚生と共になくなり、ポリコレが蔓延し、左翼が幅を利かせ、人々は様々なことに閉ざされてしまったのが21世紀なのではないでしょうか。
勇気を出し、アンテナを張り、真っ当な自由や価値観を取り戻すべきではないでしょうか。
その為には座席争いをして、ヒラメギョロ目になって萎縮して他人にばかり合わせていては、我々日本人は益々衰退するばかりですはないでしょうか。
「寄らば大樹の陰」で米国や政権や大企業の言うことばかり聞いて、日本経済が凋落した結果、新聞なんか購読する人は当然国民の所得不足から減るでしょう。
新聞業界、テレビ業界は自業自得であり、大手製造業の世界の競争力ランキングが落ちるのも自業自得です。
大企業や為政者、大手マスメディアなど同じ世界に生きれない人々の言うことを真に受ける必要はありませんし、中小零細企業のまともな共同体も未だ存在してはいるでしょうが、やはり私は宮台真司氏の言葉通り、「正社員を認めない、雇用の流動性を図り産業構造改革を進めて行く、その為には生活に困らない様に所得保障制度や職業訓練制度を充実させていく」といった考え方が正しいと思います。
人生とは一度その会社に入ったからといってそこで終わりでないし、何度でもやり直せチャレンジ出来る社会が活力ある社会な様な気がします。
しがみつこうとするからヒラメギョロ目になって黒を白と言ってみたり、他人と同じ世界に生きれなくなるのではないでしょうか。
コロナ禍も同じであり、自分が蓄積した知恵と感受性によって「ああこれは大丈夫だな」と思えばそうすれば良いだけであって、何をやってもリスクはあるのですから無意識的な覚悟を持って暮らして行けばいいと思います。人は1人ではないので、そうやって本来の自分らしく生きていれば味方してくれる人もいるのではないでしょうか。