SDGSというワードをここ1年あまりよく聞きます。
「環境問題がありますよ」
「差別はいけませんよ」
「誰一人取り残さない社会ですよ」
その他にも項目がたくさんあって、それを満たして行くことが、安心安全で持続可能な社会というわけです。
、、大人ならば大体理解している常識的なことをわわざわざ標語にすることに、何かの意図を感じ違和感しかないのですが、何をどの様に変えようとしているのでしょうか?
外国人労働者、移民受け入れ政策をこれからも続けるので差別はいけません。
男女は平等であり、安い奴隷を使わなければならないから昔ながらの専業主婦制度を破壊する必要がある。
そこには血も汗も涙も感情も色も無い、殺風景なクリーンで自動化された社会像が浮かび上がる。
恐らく何らかの危惧を抱き、反対する人々も一定数いるとは思いますが、今までの流れから大企業が旗振り役な為に、これはその様な社会になって行くことでしょう。
そして安心安全で持続可能な社会といえば、コロナ禍で経験したとは思いますが、世論のせめぎ合いでコロナへの恐怖からなりふり構わず「即自粛せよ!」と呼ぶ人々や「いや、自粛したら貯蓄も無いし自粛は出来ないよ」といった人々が存在したと思います。
現在では日本政府が「自粛」を国民にお願いしても国民側も「またかよ、でもお願いだから無視」という人々も増えた為に社会が停止する様なことはないとは思いますが、やはり自粛派とそうではない派と2つの考え方が存在する以上、ベーシックインカムの導入が必要不可欠なのではないでしょうか?
また賃金も長年に渡り上がらない世の中の為に、これは政府によってベーシックインカムという形で賃金を上乗せするのが尤も理にかなっているやり方です。
経済成長をしてそれから分配だという手法がありますが、これは30年間尽く失敗して来ましたし、日本社会は新自由主義社会ですからこれはベーシックインカムを導入すべきです。
富裕層には後から税によって回収すればいいだけであり、消費が高まれば景気も良くなりますし、何か膠着した状態のまま貧困者を増やし、我慢比べをしている必要はないのではないでしょうか?
私は元来、新自由主義社会、新自由主義政策には反対な立場ではありましたが、非正規労働者の増加、外国人労働者の増加、女性の社会進出の増加、貧困層の増加、でありながらセーフティネットが何も無い社会はやはりおかしいと思いますし、もはやこの綺麗事だけの世界、格差社会の流れは止められそうにはありません。
著名人も続々とベーシックインカムに賛成の意を表明しています。
経済成長を待ち、富が滴り落ちるのを待っている時代はとうに過ぎて、公助により人々を救って行くことが犯罪を減らすことに繋がるのではないでしょうか。